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沖正弘聖師のヨガ教義
宇宙の中で一番尊いものは生命である。

 

自然法則は3つしかない。

絶え間なく「変化」しながら、「バランス」をとることによって「安定」する。

 

「生命の働き」とはバランス維持回復の働きである。

 

生命には、正否を判別できる根本的な心を与えて下さっています。

正しいことは、よい気分で、あやまっていることは、悪い気分で教えて下さいます。

これが般若(ハンニャ)です。このハンニャに知性が加わった時、そこに最高の人間心が

現れるのであると思います。

「生活の知恵、精神的な知恵、生存の知恵の三つの知恵を集めたのを般若という」

 

「呼吸」・「脈」・「気分」は、

生命の言葉であり、生命の声であり、生命の姿です。

何が必要であり、何が不必要か、何が薬で、何が毒になるのかを教えてくれています。

気分が悪くなるようなものは毒であり、害になるということです。

生命は決してうそはつきません。

 

「生命即神」

 生命のことをヨガでは神という。

生命とは自然だ。自然とは宇宙の働きである。

だから、神はすべてのすべて。

すべてのものが有り難いもの、尊いものになる。

 俺が生きているんじゃないんだよ。生命が生きているんだよ。

お前が生きているんじゃないんだよ。生命がいきているんだよ。

だから尊いのだよ。お互いに。だから俺をお前が殺すことは、神様を殺すことになる。

だから戦争をしてはいけないというんだ。

本当は魚食うのも、神様を殺すことになる。

大根煮て食うのも、神様を殺すことになる。

これが宗教心というんだよ。

 

ヨガでいう「神」とは「真実」のことです。

真実とは間違いがないということです。

自分の中の、その間違いのない働きというのは、生命の働きのことです。

生命の働きは善を好み、悪を拒否する働きです。

私たちはこの善を守る働きで生かされているのです。

この善、すなわち正しさを求める働きが、私たちに本能的に与えられています。

病気をしているのは、体が正しさ、すなわち善を求めていることです。

正しい心のことを真心という。

 

「どうして生きているのか」

生命力とは自分の内の生きる働きと、自分の外の生かす働きとの協力であります。

ヨガとは自己の中の生きる働き(これが内なる神性)と自己の外なる生かす働き

(これが外神性)とを最高に協力させるという意味であります。

 

生命力を高める方法

・気にかけないこと

・神経をしずめること

・筋肉をくつろがせること

・息を長くすること

(間脳が平静なほど自律神経とホルモンのバランス回復能力が高くなる)

 

10 病気とは無理な状態でバランスをとっている状態であり、生命が行っている健康回復

運動である。生活の中で無意識層に悪い癖をつけるから病気になるのです。

 

11 老人病とみえるのは

萎縮病であり、硬化病であり、無力病であるといえます。

高血圧、そこひ、難聴、ガン、心臓病、神経痛、動脈硬化等、、、、。

男性より女性が長生きすることができるのは、ゆるめる作用をするホルモンを多く

もっているからです。 

 

12 老化現象をつくるな

 老化現象の第一は筋肉が硬くなること、骨が弱くなることです。

できるだけ運動をし、筋肉をゆるめること。食べ過ぎても、排泄不完全でも筋肉は硬く

なります。笑いがよいのは、神経を覚醒する栄養のもとである酸素を多く取り入れること

ができるからです。 

第二は、老人体型にならないことです。

意識的に逆の体型にするのです。つまり、足の親指と膝の内側に力をいれ、

骨盤を下げるようにします。胸筋を拡げ、あごを引きます。

人間は手足から冷えて死んでいきますから、運動によって末梢血管を発達させることが必要。

 第三はぼけないことです。

頭を老化させないコツは頭を使うことであり、頭をうっ血させない方法は、頭を熱くさせない

こと、頭をフルに使うことです。

 第四は、内臓を弱らせないことです。

内臓を強化するには、小食にすることと、深呼吸がコツです。

老人の適食は、便通をよくする発酵食です。

脳溢血は脳だけが破れるのではなく、内臓が同時に破れているのです。

 

13 「柔軟性の低下は、硬化、たるみ、麻痺から」 

第一にすることは何かというと、柔軟性を高めるということです。

柔軟性というのは弾力性です。受け取り方、処理の仕方の幅広いことです。

その反対の状態をつくりだすのが三つある。すなわち、かたいということ、たるむということ、

麻痺するということです。

 

14 第一番はね、心でも身体でも運動を不足させてはいけないということです。

運動が不足すればするほど、筋肉は硬化してきますよ。その硬化をそのまま続けると、

「たるむ」という現象が起きてくる。求心力が強ければ、やせるという現象が起きてくる。

遠心力が強ければむくむ。

そのたるんだやつを無理に使っていると「麻痺」という現象がおきてくる。

 

15 病気には5つの原因がある。

第1は、背骨のねじれ等の姿勢の不自然から起こるもの。

第2は、食物のアンバランス。その人に必要な適した食物を必要な量だけ食べるという原則

           を無視することから起こる場合である。

第3は、不完全な呼吸。

第4は、陰陽のアンバランス。

           すなわち入れるものと出すものとのバランスがとれていない場合。

第5は、心のアンバランスな状態である。

 

16 病気が本当に治るというのは、病的原因が心身、生活、環境、すべての中から一掃されて

いる状態であって、変化したり、おさえたりしたことは治ったとはいわない。

病的原因は自分の生活の中にある。すなわち、病気になるような生活を自分が自分に

させ、病気になるような性格を持っているから病気になるのである。

健康を維持する力も発病する力も同じ力である。体力がないから、栄養が足りないから

発病するのでなく、余っている体力やエネルギーを身についた悪い癖の方に使って、

自分で自分の心身を傷つけているのが異常状態である。

だから、生活を正し、人間性を高めることが予防医学であり、生活の中に原因を発見する

ことが早期発見になるのである。

 

17 ノイローゼは、心を暗くするような解釈の仕方しかできなくて、感謝の気持ちが起こらない

人が、なる異常です。

 

18 眠気、気だるさはエネルギー過剰である。

 

19 病気をしているということは、血が濁ってる証拠と思え。

 

20 適食するだけではだめだ。

呼吸が悪くてもだめだ。

姿勢が悪くてもだめだ。

仕事の仕方が悪くてもだめだ。

 

21 「病気の治し方」

姿勢を正しくすること、栄養のバランスをとること。完全な呼吸、心を清らかにし、

欲望をコントロールし、感情を整えること、仕事を楽しむこと、対人関係をうまくすること、

こういうことが正しくおこなわれれば病気など治ってしまいます。

 

22

 

「慢性病の治し方」

慢性病は変化させる刺激、バランスを回復する刺激、安定性を高める刺激を総合しなけれ

ば治らないのです。

筋肉が凝った状態が疲労である。疲労の抜けない部分が発病する。これが慢性病である。

 

23 「治療法」

その部分の力を抜くようにすればよいのです。力を抜くことを「安静」というのです。

安静とは寝ていることだと思っている人がいますが、それは大間違いです。

力を抜くということ、そこを休めてやるということ、無理をとるということが「安静」なのです。

力を抜けば力が出るというのが原則であります。

 だから、安眠熟睡することが自然治癒能力を発揮させる最大の秘訣なのです。安眠

熟睡した時は力が抜けています。体の力と同時に、心の力、緊張が抜けているのです。

特に病気をしている場合は、病気をおこしている場所の力を抜いてしまわなければ無理

がとれないのであります。

 

24 「治す治し方」・「治る治し方」・「治さない治し方」

治す治し方は、科学的方法であり、これを「術」といいます。

治る治し方は、哲学的方法であり、これを「法」といいます。

治さない治し方は、宗教的方法であり、これを「道」といいます。

 

25 「病人に真実の喜びを与える」

私は病人に関しては、病気を治すことが救うことではなく、

本人にどれだけ喜びを感じさせるかということを第一に考え、接しています。

 

26 「難問題を避けてはならない」

「自分の理解の範囲内に留まるな」

「愛とは自他共に最も良いことを実行すること」

「合掌し良い考えを持つ」

「自分を他に捧げる」

「尊い命を頂いてご恩返しをする」

「自分の宝物を捧げる」

 

27 健康とは、感じ方、考え方、行い方の三つが自然であること、すなわち、心身および生活の

バランス維持および回復能力が強く高いことである。

 

28 「健康を保つ秘訣」=「体をやわらげ、心をやすらげ、生活や仕事を楽しむことである」

心をやすらげる為には、感謝をし、懺悔の心を持ち、下座心になることが大切です。

御恩を感じ、おかげを感じ、ありがとうございます、すいません、おかげさまで、

という心になれば誰でも心はやわらいできます。

 

29 「本当の健康状態を作り、保つ原則」は姿勢と呼吸と血液である。

 

30 正しい姿勢とは、全身が一つになって協力して働いている状態をいう。

眼だけで見るのではなく、全身で見る。耳だけで聞くのではなく、全身で聞く。物を持つ時も

歩くときも、どのような場合でも全身で行うのである。

 正しい姿勢で行う原則は、丹田に力を込めること。すなわち腰の力で行なうことである。

腰に力が入るようにすると、正しい背骨の状態が保てる。座っている時も、立っている時も

歩くときも、すべて腰で動作するのである。その最も簡単なコツは。肛門の締める力を高め

ることである。また、背骨は伸ばす程、楽であるから、いつも意識的に背骨を伸ばした姿勢

を保つようにするとよい。

 

31 「正姿勢の基本原則」

肋骨を開き、肩甲骨をつけ、あごを引き、骨盤を下げ、膝の内側に力が入るように、

足の土踏まずに力が入るようにする。

 

32 「正しい呼吸」

呼吸は正しければ正しいほど、長く、強く、深く、静かである。

 

33 「笑いの呼吸」

人間は交感神経が緊張して頭にきやすいので、腹圧を高める呼吸法が自然に

与えられています。それが笑いなのです。笑いが自律神経の働きを整える効能がある

ことは、瀕死の重病者になるほどよくわかります。

 

34 呼吸で腹圧を高めると、自律神経の働きが高まり整う。

呼吸は強く、長く、深く、ゆっくりと行う。これが禅である。

 

35 「きれいな血液」

正しい栄養をとること、と排泄を完全にすることが必要である。

 

36 「三昧行」

楽しむことを三昧行といいますが、すべてが一致調和した時に、三昧になれるのです。

三昧とは一つになることであり、自分と仕事が一つになった時の状態をいうのです。

仕事が自分であり、自分が仕事なのです。私があなたになり、あなたが私になり、

心が一つになったとき、一体といい、三昧というのです。

 

37 人間の訓練には教養、修養、修行、修業との4つが必要であります。

わたしは生きることは学ぶことであり、学ぶために生まれてきたのだと思っています。

「生即学」であります。

 

38 「ヨガの訓練法」

ヨガは3つの目的をもって訓練をします。

それは丹田力を高めること、仏性を高めること、三昧力を高めること。

 

39 全身の力を抜くと、必ず中心すなわち丹田に力が集まってきます。

力が中心に集まると、体が安定し、自然治癒能力がたかまるようになるのです。

「上虚下実」 ・「頭寒足熱」

 

40 丹田というのはバランスをとる中心点なのだから、バランスをとるようにやらなければ、

丹田に力が入らないよ。丹田というところがあるんじゃないんだから。

 

41 丹田を養う最高の方法は生死の境をさまようことだ。

神経が緊張すると筋肉が凝る。そうするとアドレナリンがでる。酸性化する。

炎症をおこす。ひどくなると潰瘍をおこす。そんな時にニヤと笑える状態なら本物だよ。

いつでも笑えるわけないじゃないんだよ。丹田に力が入っていないとわらえるか。

 

42 丹田は特別であり、経絡の一番の中心は丹田である。

丹田は自律神経のバランスをとる中心点であり、

ホルモンバランスをとる中心点でもある。

それらを総合した時、丹田といいます。

 

43 コツを早く体得するには

  ある物事をする場合、一番早く正しい方法を把握するコツを申し上げてみましょう。

それは手も肩も足も疲労困ぱいその極に達して体は動かすのがやっとの状態になり、

心は余分なことを考える余裕がなくなり、そういう状態でも尚やり続けようとすると、

自然と丹田だけで動作しなければならず、無心になる以外にない状態になります。

この時には呼吸法も自然に完全になっており、積極心をもつ以外に生きる方法も

やる方法もなくなってしまいます。私はこの訓練を繰り返してのみ自己の可能性の限界を

追求することが出来るのであると信じて自分に鞭うっております。

 

44 生理的安定=肚をつくる。

心理的安定=信仰心をもつ。

この2つをきちんと合わせたのがヨガの方法である。

この2つをきちんと合わせたときに生まれるのが健康である。

この丹田力と信仰心は、やすらぎ、和らぎ、くつろぐほど強くなるのである。

 

45 「禅」とは、ギアンナ・ジアンナ・最高の安定という意味だ。

 

46 「無はからいの心」とは、

自分流の感じ方や考え方に支配されないということです。

 

47 「正しく」とは

正しく感じられる時は、どういう時でしょうか。それは最も平静な時です。

  それならどのような状態の時に心身は最も平静な状態を保つのでしょうか。

それは最も安定している時です。安定とはバランスのとれている時です。

ヨガではバランスのとれている状態を自然の状態といい、無の状態と形容しています。

  ヨガや禅では、この無の状態のことを、死んだ状態で生きているとか、眠っている状態で

目覚めているとか形容しています。すなわち、最高の覚醒と最高の弛緩とが一つになっている

状態、強い統一力と完全な放下力とが一つになっている状態であります。

 

48 恐いときほど、笑いなさい。

嫌なときほど、微笑みなさい。

嫌だなァと思う人ほど仲良くしなさい。

やりたくない時ほどやりなさい。

それをヨガという。それを説いているのが般若心経。プラスに対してマイナスで答える。

マイナスに対してプラスで答える。プラス、マイナス、ゼロのとき、空という。

空じるとき真実が生まれる。そこにヨガがある。

 

49 「三密」

1、正しい姿勢と動作で行う。

2、正しい血と呼吸で行う。

3、正しい感じ方と、思い方と、考え方で行う。

この三者を三密という。 

 

50 すべてに共通した法則のことを「道」というのです。

「道」とは万事万物の根本原理であり、宇宙の法則、自然の法則、生命の法則を示す

言葉です。従って人間にとっては物事の見方、考え方、行い方、即ち生き方の原理と

いうことができます。そして、この原理を全生活を通して求める事を求道といい、これを

体得した時に「悟った」といえるのです。

 

51 「求道者のありかた」

@ 知行合一で生きる

A すべてのことを意識的にやる

B 依頼心を捨てろ

C 極限状態を想定して生きなさい

D 自分のものを掴む

E 生活を行とする

F 無理するな、無駄するな、続けよ。

G 楽しんでやれ

H 宗教心をみがく

 

52 人の一生は、自分がどれ程素晴らしい自分に仕立て上げるかを自分で見るためにあると

私は解釈しています。

 

53 「自己教育」

意識的に、自己暗示を行って、無意識の内容を変えることを、自己教育といいます。

思考・言葉・態度・行為を、自分の目的とするものに、合致させることが、自己改造と教育

の鍵です。

 

54 「依頼心を持たないこと」

完全に依頼心を捨てると、責任をすべて自分に見るから、不平も不満も怒りも憎しみも

起こらない。不平、不満、怒り、呪い、憎しみが生まれるのは、依頼心を持つからである。

依頼心を持たない人は生き生きとしており、生き生きしているから美しいのです。

 

55 「捧げる心が最も美しい」

最高の美しさは、自己のすべてを捧げる心で、奉仕することである。

自分を完全に放棄して、ひたすら奉仕するにはどうしたらよいかという生活をする人を

「菩薩」インドでは「ムニ」という。

奪おうとする人の心は汚い。

最も尊い心、最も美しい心の持ち主は、他を拝める人、他から拝まれる人である。

56 「悪業」とは、身についている体の癖、心の執着、生活の悪い習慣のことです。

これは無意識のなせるわざです。そして無意識の力は非常に大きいので、

「バランスをとれ」とか「とらわれるな」などの良き教えやヒントをいくら聞いても、

なかなか実行できないのです。

そこで私たちは、「自立行」=「プラテイヤハラ」をする必要があるのです。

自立行とは、自分が自分の意志で自分を自由に支配するための訓練法です。

 

57 「無駄するな」とは、すべてのことを活用せよということです。

 

58 「使命を自覚する」

 その人がどういう生き方をしたら一番よろこべるかということです。

 

59 「生かされて生きている」

私は、生命が神であるという真理がわかるまでは、種々の宗教的教えを理解できなかった

が、宗教的修行を積むことにより、「生命即神」であると悟ってからは、すべてのことが

本当によくわかってきた。

「生命」という言葉も「神」という言葉も人間が作った言葉である。生命という特別のもの、

神という特別のものが存在するわけではない。存在しているのは、すべてを存在せしめる

力である。自然の働き、宇宙の働き、すべてを支配している絶対的働きである。

これを生命の働き、神と形容しているのである。

 生命の働きとは、いつも正常を保とうとする働き、正常性を守ろうとする働きである。

また、生命が正常に働いている時が、我々がもっとも喜びを感じる時であるから、

生命の働きとは、いつも喜びだけ、光だけを求めようとする働きでもある。この働きのお陰

で我々は生きているのであり、この力を我々は始めから与えられているのである。

病気や悩みは、生命の働きが正常性を保とうといていることの現われであり、救おうとする

力の現われにほかならない。また、土にしても日光にしても、水にしても空気にしても、

生きていくために必要なものはすべて与えられている。

そう考え、感じ取ることができれば、我々は神の愛によって生かされているということが、

しみじみわかる。我々を生かす力が内にも外にも存在するからこそ生きているのであり、

我々は生かされて生きているのである。

 浄土教では、「摂取不捨の本願」と言うが、これを一言でいうなら、救わずにはおかない

という宇宙の願いによって我々は守られて生きているということである。

これが絶対的に支配している力であり、この力にすべてを任せきる心境が宗教心である。

神の愛によって生かされているという、神への絶対なる信頼感が湧き起こり、これを確か

にそうだと悟った時、信心を体得したという。これが本当の宗教心である。

 だから、救われ自体を願うこと自体が間違っているのである。

今、ここに生きているという事実そのものが救われていることの証である。

救われているからこそ生きているのであり、これ以上の救われを求めることは間違いで

ある。 

 

60 「合掌」とは、すべてのものは尊いものだということを自覚する行なのです。

 

61 「合掌は総てを己と見る心」

この地球上に存在する我々はあらゆるものと影響し合って生きているのですから、最高に

協力し合って生きねばなりません。その協力の仕方のことを合掌といいます。

合掌とは一つになるということです。

一つになるとは自分と他人との区別がないということです。

相手は自分であり、自分は相手であるのです。

全てのものが自分に見えるようになったとき、はじめて、平和という言葉や愛という言葉の

意味を実感することができ、そうあるためにはどうしたらよいか、ということもわかってくる

のだと思います。

 

62 「感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行」

 

63 心に一番よいのは喜びであり、喜ぶためには感謝心が必要です。

 

64 自然心とは全てのものに感謝できる状態をいう。

どんな状態でも、感謝できるのが、心が柔らかいといいます。

 

65 「おまかせの境地」

自然の欲に生きている心は軽いのです。

自然の欲を育てるには、与えられるだけでいいのだ、与えられることがみな必要なこと

なのだ。与えられることがそのまま教えなのだ。与えられたものを、どのように取り入れる

かということと、正し方をする工夫とを与えて下さって、それが運命を変える元になるのだ

と受け取りうる心を養うのです。

この自然欲の境地をおまかせの境地といいます。

 晴れてよし、曇りでよし、死ぬ時は死ねばよろしく候。転ぶときは転べばよろしく候。

誰かが嫌ったら嫌ってくださればよろしく候。来いといったら行きましょう。来るなといったら

行かんでおきましょう。馬鹿といわれれば有難うといいましょう。

なんでもありがとうの感謝心が正欲を養うコツです。

 

66 「調子の悪い時もありがとうの解脱心」

多くの人は、自分にとって調子のよいことでもしてくれたり、欲しいものでも頂いた時だけ

ありがとうと、偏った感謝の仕方をするので、その反対の時には、腹を立てたりする偏執

した心になってしまうのです。このように偏った心では本当の感謝心は生まれません。

 たとえばあなた方が私の話を聞いて下さろうが、聞いてくださるまいが、とにかく私は感謝

させていただきますが私の心境です。私はあなた方にお目にかかっただけで、有難いと

思っています。聞いて下さればさらに有難いし、聞いて下さらない時にはまだ聞いて

いただけるだけの資格がないということを、あなた方が教えて下さっているものとして感謝

いたします。

私の心にはいかなる事や状態に対しても感謝する心以外は持っておりません。

この心が解脱道の心です。

 

67 「一切のものは私のためにが懺悔道」

しかし、本当の意味の感謝生活に入るためには、まず懺悔道を通らなければなりません。

懺悔道というのは、すべての責任は自己に在りという考え方と、一切のものは私のために

という受け取り方であります。すべてのことを自分のための教えとしてうけとる感謝心が

懺悔道の心です。

「懺悔道は他を非難しません」

あなた方は懺悔道を通らないから、感謝道がわからないのです。都合のよいことだけに

ありがとうございますというから、心が片寄ってしまうのです。

「電信柱の高いのも、郵便ポストの赤いのも、私のせいでございます」とまで思えたら、

懺悔道の極意です。しかし、なかなかこの心にはなりえません。しかし、この自他差別の

対立心をもっているかぎり、絶対に懺悔道に入れません。懺悔道に入れないかぎり、絶対

におかげ道、すなわち感謝道には入れないのです。

 

68 懺悔心のない者はヨガの行者ではない。

懺悔心ができてくると感謝心が生まれてくる。

感謝心が生まれて、今度は懺悔心が更に清くなる。

お陰だなぁ、とこうなる。

いいか、お陰だなぁ、有り難いなぁ、すまないな、となると、これが下座、奉仕の心になる。

 

69 「下座道」

懺悔道にはいるためには、下座道の心が必要です。あなた方が上座道におるかぎり絶対

懺悔心はおこりません。恩を売る心は上座の心です。無理にこうなって欲しいと思うのも

上座の心です。

お詫びとおかげを感じたら、そのプラスに対して、お返しする、マイナスの生活をさせていた

だきますが必要です。この心が下座奉仕の心です。

下座道に入る第一の練習は、馬鹿になりきる練習をすることです。

下座道の反対をやくざ道といいます。恩義や義理や人情を相手に売ったり、押しつけたりし

て、おれがこうやってやったのにと脅迫することをやくざ道というのです。ほとんどの人の心

がやくざ道の心です。

70 「万物に合掌礼拝する涅槃道」

下座の心の者がはじめて奉仕道に入れるのであって、ただ単に奉仕するのではなくて、さ

らに無条件の感謝の心を込めることができた時、これを無の境地とか、離の境地とかいい

ます。更にこの心の上に、万物に対して合掌礼拝するという境地が加わった時、そこに

涅槃道があるのです。

 

71 悟りとは、すべてをよろこべる正見、正知、正行の境地ではないでしょうか。

悟りとは、一切の対立を超えた心である。だから無の心ともいうのだ。対立するのは執着

するからだ。執着するから偏りもするのだ。

 

72 悟りとは、感じる能力、考える能力、行う能力、

この3つを間違わない状態をいいます。

 

73 悟るとは事実を正しく把握することです。

 

74 「迷い」とは、まちがい即ち不自然の事である。

 

75 「解脱」とはムクシャの訳で、完全自由という意味です。

 

76 「正しさを把握したとき」

正しさに近づくほど、体が安定し、心が安らぎ平和になり、悦びが多くなります。

また、裁く心よりも許す心の方が多くなり、自分のためよりも他のために何か良いことを

したいという心が自然に起こってきます。そして、鷹揚になり、わがままをしてはいけない。

奉仕しなくてはいけないという心が自然に湧いてきます。

   これが、物事に対する正しい解釈の仕方を把握した状態であり、これを悟りを開いた状態

といいます。もしこの状態でないとすれば、それは間違った考え方をし、迷いの中にいると

いうことです。

 

77 「事実を把握するためには、総てを密教として学ぶ」

「冷暖自知」という言葉がありますが、これは、水が暖かいか、冷たいかは自分が飲んで

みなければわからないという意味です。密教とは、このように自分で体験し、確かめながら

学んでいく教えです。事実というものは、いくら言葉で教えられても、自分で摑むまでは

わかり得ないものなのです。

   総てのものごとは、自分の理解できる程度でしか理解できず、自分の感知力の程度に

しか感じることができず、自分の判断力の程度にしか判断できません。

ですから、正しさを把握しようと思うならば、自分の程度を高め清めるしか方法がないのです。

 

78 自分が体験して体得したことを説いているのが密教だ。

教祖は皆、密教だよ。

 

79 「道」

哲学性と科学性と宗教性が一致したものを道という。

 

80 救われるとは、間違っていたことに気づくことをいう。

 

81 仏というのは自由人ということだ。

訓練の結果、心身を自由にコントロールできるようになった人を仏陀という。

 

82 「愛は愛を生み、

 憎しみは憎しみを生み出し、

 争いは争いの種を蒔く。

 まことの解決は、愛し敬う心にのみ生まれる。」 

 

83 「愛」というのは「思いやり」です。

しかもこれは、人間同士にのみ向ければよいものではありません。地球上に棲むすべての

生物は等しく生きる権利を持っているのです。ですから1本の草にも、そこを這っている

アリにも、米一粒にも思いやりを示すのです。

 

84 ヨガでは、正しさを与える心と行を「愛」といっています。

 

85 「愛とは生命が最高に喜べるように協力すること」

相手にとって、あるいは自分にとって一番良いものを捧げようとする行為が愛なのです。

自分が一番喜べる自分になれるよう努力すること、これが自分にたいする愛です。

同様に、他に対してそうした場合は他への愛です。

すべてのものを愛するとは、すべてのものの生命が最高に喜びを発揮できるような生き方

ができるよう、お互い同士協力し合うという意味です。

生命の喜んで下さる生き方を自分の心、自分の体、自分の生活にさせるには一体どうした

らよいかを研究して実行すると同時に、他の人にも研究し、実行してごらんなさいと教えて

さしあげそのことをお互い同士が協力する、これがヨガであるというふうにお考え下さったら

よいと思います。

 

86 一番尊い生き方とは、自分が喜べると同時に他の人に喜んでいただく生き方です。

愛とはこのように、自分も喜べ同時に他も喜べる生き方の最上の努力を尽くすこと

なのです。この愛を実行することがヨガの教えの目的です。

 

87 「ヨガの教えは愛の教え」

ヨガの教えとは、一言で言えば愛の行者になる教えのことです。

愛の心を身につけ、それを実行できる身体をつくる。これがヨガの目的です。

 

88 宗教心とは、愛を実行する心ではないでしょうか。

「神の御心は愛の御心」であるといわれております。

ですから人間の心の中で一番尊いものが愛の心であり、この心を呼び起こし、深め、

高め、広め行じることを目的とするのが、宗教であると思います。

 

89 精神修養の結論は「宗教心を体得する」という一言につきます。

善意にものを考え、解釈することです。

積極的にものを考え、すべてのものをいい方に活用する考え方を身につけることです。

 

90 「真理は不動である」

正しいことをそうだと確信することを信仰といいます。信仰心は不動心です。

紅を紅として理解し、冷たいものを冷たいものと理解できれば、それ以上考えることは

ありません。正しさを把握する心のあり方は、不動心であり、無心なのです。 

 

91 いらいら、そわそわ、憎しみ、怒りは心が固いためにおこります。

どんな状態でも感謝できるのが、心が柔らかいといいます。

柔らかい心で生活することを、ヨガの心というのである。

それを信仰心という。心が柔らかい、安定した状態である。

 

92 「心を醜くし、汚すものは何か」。

それは一体何でしょうか? その第一となるものが自分と他人という区別があるというような

差別感を持つことであります。

しかし、段々と真実がわかってきて、心の目が開かれてきますと、自分とか他人とかいうよう

な区別ができるものはないのだということに気づいてきます。

たとえば自分の体という他のものと区別できるものがあるかのように思っている人がいま

す。けれども、静かに深く広く考えてみますと、実は自分だけの体というのは無いのです。

この自分の体は無いのだという真理に気づいた日本の古聖は「もったいない」という言葉を

発明しておられます。「もっ体無い」すなわち無体であるということの真実は深く考えて真理

に気づいてみたら、自分というものは、すべての他の御恩の集まりであった、他の協力の

集まりであったということであります。他に無縁の自分はないのです。他の協力の集まり

としての他の犠牲の集まりで形づくられている自分であり、他に供養されて生かされて生き

ている自分であることに気づくことが悟りの第一歩です。

 この事実と真理に気がついてきた時に、自分は単なる自分でない、他からの預かりもの

の自分であること、神からの借りものの自分であることも自覚できるのです。

そうしてこういう風に心の眼の開いた時に尊い自分なのだなあ、もったいない自分なのだな

あという感じも自然におこってくるのです。

 尊さを感じ、大切にしなければならないのだということを感じた時にはじめて起こってくる

のが正しい愛の心です。

正しく自他を尊び、敬い、そうして大切にしようとする心は、宗教心からでないと生じません。

普通心で自分を愛するということは自己中心主義に陥りやすいのです。

しかし、宗教的な観点に立って自他をみるとき、「お互いはお互い同士のお陰によって存在

している一体のものである」、ということがわかってきます。

この真理は自分は他人であり、他人は自分であるともいえます。

このように自他の真理を自覚できた時に、自他共に大切にしなければ、という愛の心が

自然的におこってくるのであります。

 このように尊ぶ心、敬う心が生じてきた時に、本当に愛するとはどういう風にすれば

よいのかということもわかってくるのであります。

 自他なしの心は自分も他人も一つの自分なのだということに気づいた心ですから、この心

には相手の喜びがそのまま自分の喜びになり、相手の悲しみがそのまま自分の悲しみとな

ります。この心を隋喜隋悲の心といい、あわせて慈悲の心といいます。

彼の悲しみはそのまま自分の悲しみであり、彼の喜びはそのまま自分の喜びであるの心に

なってこそ始めて真の愛が行じられるのではないでしょうか。 

彼が良くなることがそのまま自分の喜びとなり、彼が正しくなることがそのまま自分の喜び

の心となってのみ真の愛の心が生じるのですから、真の愛の行者になるには、自分だと

か、他人だとか、好き嫌いというように差別的に対立する心があってはだめです。

 

93 「積極性」

沖ヨガの特色は積極性である。積極性とは、すべてをいいほうへ解釈することである。

すべてを尊いもの、価値あるもの、必要なものとしてみるのである。

即ち、すべてを良きものに変える生き方をすることが、宗教的生き方である。

敵も味方に変える。毒も薬に変える。嫌いなものも好きに変える。不幸も幸福に変える。

損も利益に変えるのである。

すべてのものは生命の必然性によって生み出され、それぞれに個性、使命が与えられてい

る。だから、自分の都合、条件に拘泥して他を否定するのでなく、一つ一つの存在価値を

認め、それを良きものに変えていく生き方がすべてを生かすのであり、これが本当の

宗教的生き方である。

 

94 積極心とは、どんなことに対しても、感謝できる心であります。

 

95 「毒を薬に、敵を味方に」

良いように活用すれば、敵も味方に、毒も薬に変えられるのです。

敵を敵だと思うのがおかしいのです。

何かを気づかせてくださる教えとしての恩人であるという感謝の態度で接すれば、

すべてのものを味方に変えることができます。

すべてのものは、自分の味方扱いをすることによってよき協力者にすることができます。

これを「観音行」と言い、これは、「自分が見たようにものが見え、扱ったように相手がなり、

求めたものが与えられ、認めたものが現れる」という意味です。

ヨガでは、このことを「三界は唯心の所現である」と教えています。

癪にさわるような人でもよい友としてあたたかい心で扱ってごらんなさい。

必ず良い友人に変わってきますから。

 

96 思考以前に働き、意志でコントロールできない心のことを無意識心といいます。

無意識心には二つあります。

@ 先天的無意識心である宇宙意識、生命意識のこと。

A 後天的に教育、躾、体験、学習等で形成されたもの。

Aは、思いきめてしまう心です。自分の習癖のついた思い方意外はできないのです。

この後天的無意識心を、密意識と呼びます。

この心の支配力は強いので、この心がどういう理解の仕方をしているかによって、迷悟、

喜悲の岐路ができます。ですから、誤った理解の仕方が身についていると、

それに束縛されるほかありません。迷いや煩悶がその姿です。

 

97  心の力を弱めるものには、劣等感、依頼心、不安感、羞恥心等々があり、この心があると、

いくら事をなそうと思っても、ブレーキになってできません。

多くの人は、強さでなく弱さに、成功観でなくて失敗観に自分の心を使うために、もっている

力を出せないだけでなく、自分や他人をも困らせる方向に身体を使いやすいのです。

ノイローゼがその好例です。

 

98   誤解心とは、誤った理解の仕方が身についていることです。私たちは自分が理解した

ようにしか、対象を認めることができないのですから、もし理解内容が誤っていると、

どうしても誤った生活をしなくてはなりません。

 

99 人間に必要な心は、感謝心、和合心、協力心、積極心、平静心ですが、知性と共に

生理作用が高まらないと、これらの心の状態にはなりにくいものです。

 

100 直感力を高める方法

・できるだけ自然生活をすること

・無心に、すなわち澄んだ心になる工夫をすること

・できるだけこの感じを使え!

感に頼り、感に従い、感を育てるのだ。

その方法は、心をしずめて気をくばることである。

 

101 「親しめば教えられる」

動物や植物は感が非常に発達していて、人間の感じとれないようなことを感じとっています。

この能力のことを超能力といっています。たとえばテレパシーはその例です。動物はどうし

てこの生存の知恵がよく働くのでしょうか。それは自然や対象物によく親しむからです。

すなわち相手と一如になっているからです。

さて、親しむ心を身につけるには、どうしたらよいのでしょう。この親しむ心のことを、和合心

といいます。和合心とは、他に「好き」を感じる心です。この「好き」を感じる心は、他を犯した

り、奪ったり、憎んだり、無用な争いをしない心であります。ですから、この好きな心になる

為には自己中心や利己的であってはいけません。嫌ったり、犯したり、奪ったりする心は、

この自己中心の心から起きるのであります。

親しむには、即ち、「好き」を感じるには、無条件に、深く接し合うことが大切なのです。

己を空くして相手に親しめば、相手が教えてくれます。

反対に嫌ったり、けなしたりすると、教えてくれません。

大抵の人は、ノイローゼのように、嫌ったり、逃げたりして、自分勝手に考えるので、道が開

けてこないのです。どんな対象物でも、深く接すると、どうしたらよいのかということを相手が

教えてくれます。この自己を無にして相手の面倒をみる奉仕行を愛といい、感謝心といい

ます。例えば、自己を無にして相手に協力してごらんなさい。相手は全ての能力を出し協力

してくれます。生活の知恵も同じことです。積極的に体験していくと、自然に体得できます。

 多くの人々は自己を捧げずに、相手から与えられることだけを考えています。

ですから、生存の知恵も生活の知恵も発達しないのです。

 

102 自律訓練法

あってもない。あるいはなくてもある。自分をいつも反対の状態に置いて、意識的に練習を

続けていくことが自律訓練法である。 

 

103 「アミダバハ」・「アミダユス」=大自然というインド語

「ナムアミダブツ」=「この大自然の法則にしたがいます。」の誓いの言葉。

「アーメン」=平和という意味。

 

104 人間にはボス型、協力型、服従型の3つの型があります。

 

105 「機度間」

機会を窺い、度合いをはかり、適切な間合いを置くことが、話をするときも必要です。

 

106 「お客様と対応する仕方」

まず第1に必要なことは安心感を与えることです。相手が安心していると呼吸が深く

なり、筋肉が柔らかくなり、体温が上がってきます。物事を始めようとする場合、

その人を支配するのは、まず恐怖心です。その人とうまく対応するには、

その恐怖心を取り除いてあげることです。そして、よく聞いてあげることです。

相手と接する場合は、相手と波調を合わせねばなりません。

相手と同じ口調で話せば親近感をもちます。相手を見て話すことです。どうすれば相手が

安心感を持ち、どうすれば信頼感を持つか見極めて、それを与えればよいのです。

話でわかる人には話で、見なければわからない人には見せて、これは百人百様です。

これを「人を見て法を説く」というのです。

 

107 すぐ叱るより待って対処せよ

人間の心が一番正しく働く時は、心が静かな時だ。

君が誤ったことをした時は、君の心は混乱している。それを見た私の心も混乱している。

この混乱した心には、正しい判断力も知恵も浮かばないのだ。

たとえ正しい忠告でも、心が閉じている時、心が乱れている時には、無駄になるだけでなく、

反感や警戒心まで生み出してしまうのだ。

とくに心が乱れている時の忠告は、責める言葉となってしまいやすい。

人間は責められることが一番きらいだ。これは人間だけでなく、一切の生き物に共通の心

だ。責め言葉の忠告は、毒を含んでいるから両方に悪い。

 

108 映像をえがくと効果的に、無意識層が働きます。

また、実現力を高めるには、心の抵抗力を高めることが必要です。

その方法は、忍ぶ事、我慢することを練習することです。

 

109 「物事をなす場合に、一番害になる心の内容は不安と恐れです。

この恐れや不安から脱却する方法は、積極的にその事にぶつかって行く事であると

思います。」

 

110 物事を行うコツ

物事を行う場合、楽な呼吸、深い呼吸、完全な呼吸で始めることが大切ですが、

そのコツは合掌です。

合掌すると、胸が広がり、下腹に力が入り、浅い呼吸が出来なくなります

 
111 自分に一番あったものというものは、自分とは逆のものです。

 

112 金持ち根性とは、与える心になることです。

 

113 食欲は知性心に、性欲は愛情心に変えることができるのです。

 

114 骨盤が開いている状態とは、伸びる筋肉が強くて、縮む筋肉の方が狭い状態をいう。

骨盤の狂いは、一番は足と思った方がよい。足か首かどっちかだ。

足は非常に重要なところである。正しい足を保つことを、昔から身構えという言葉で形容した。

 

115 若白髪

腰椎3・4番に故障があるとたいていの人は白髪をもっている。

腰椎4・5番に故障のある人はハゲています。

だから白髪と生殖器、ハゲと骨盤の開閉運動には関係がある。

血行をよくするには、逆立ちがよい。

自律神経とホルモンの失調を治すには、温冷交互浴、深呼吸、座禅、信仰による良感情の

調整がよい。

頭がかゆかったり、のぼせたり、フケが多いのは、酸性過剰で、ハゲ、白髪になる可能性が多い。

 

116 胸やけする人は胃に熱をもっている。

黄色のものをとるとよい。たとえばにんじんなどを生できざんで食べるのがよい。

また、だいこんおろしやコンブなどでもよい。

 

117 体に脂肪のコブが出来た場合、

色の変化するものがよい。たとえば、ゴボウ、レンコン、大根など。

時間がたつと、干したりすると色が変わる。これは分解促進作用があるのです。

また、青いものはよい。

 

118 不快感が続くのは、副腎ホルモンの異常が原因である。

体をうしろに強くそらして深呼吸をするとよい。

 

119 ヨガでは腺のことをチャクラ。

神経のことをクンダリーニ。

これらへの反射部位と筋をナディース(幽線)といっています。

 

120 目の周りのシミは、腎臓、大腸、性器等の排泄機能を修正するとなくなってしまいます。

 

121 大根足や腫れたり、つったりしやすいのは内臓病です。

 

122 感情、自律神経、ホルモン中枢は間脳です。

 

123 塩分が足りなくなると頭がにぶったり、動作がにぶったりする。

塩分はナトリウムである。ナトリウムは活動を促進させる。

カリウムは抑制させる。

 

124 ビタミンCは、体を防御する副腎の働きをたかめる。

一寸したことを恐ろしがったり、嫌がったりする人は副腎の働きがにぶい。

ですからビタミンCやビタミンKの不足している人は小心者になってしまう。

 

125 カルシウムは神経を静める役目をします。

カルシウムが不足すると心がイライラし、そわそわしてきます。

 

126 鼻が異常の場合は、逆立ちあるいは逆さか立ちを行う。

 

127 プラナヤーマの時は、頭を下げてジャーランダラバンダをおこなう。

→喉がリラックスする。

冥想では、クンバックは行わないので、頭を下げていると眠ってしまいます。

だから頭を上げて目覚めた状態にしておくのです。

 

128 前屈系が出来ない場合は、生殖器、消化器、特に胃、腎臓、膀胱系、に異常のある場合

が多い。

ねじりが出来ない場合は、肝臓に異常をおこしやすい。

 

 

 

〜月刊「ヨガ」・「求道実行」誌より抜粋

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